渋谷に坂が多いのは今に始まったことじゃないが、ぼくは坂のせいでこのあたりを歩くのを避けてしまうほど坂が苦手なのだ。
ぼくは体力がないし荷物が大きい。旅の途中だから荷物を預けるわけにもいかないのはいつも通り。
ただ、このごろは電動キックボードが普及してだいぶたつからそれをつかうという手がある。こういう乗り物は大好きだし、一台借りて乗ることにした。
キックボードも自転車もほかに借りる人がいないようでだぶついている。充電も問題なさそうだ。ぼくの声紋は登録済みだから今回はそれを使ってデポジットから支払う。
今の時代なら渋谷といえども人であふれているわけではないだろうというぼくの判断は正解で、キックボードが普及したときのように人を縫って走行する必要がなく快適だ。むしろ人影がないのに、あの看板は・あの巨大モニターは誰に向けて情報を発信しているのだろう? そんなことを考えながら横道に入り、なかなかの急坂を昇り始めた……のだが。
ぼくの荷物が重すぎるのか、電動キックボードが進まない。体重は重くないはずなので、荷物の問題だと思うのだが……がんばれ!がんばれぼくのキックボード!
応援もむなしくキックボードは進まなくなってしまい、後ろに倒れる前に慌てて飛び降りた。
結局坂を自力で昇る羽目になり、重い荷物を担いで汗を流しながらフウフウと昇った。キックボードだけでも置いていきたいが……そういうわけにもいかず……
「まったく体力がないにゃんね。昔の人間ならポケットに手を突っ込んでスキップで行くぐらいの余裕があったにゃんけどね」
声のする方に顔を向けると、建物の隙間にあるエアコンの室外機に1匹の白猫が座っていて、けだるそうにこちらを見ていた。
「いましゃべってたのは、ねこのあなたですか?」
ぼくが息を整えながら声をかけると、
「そうにゃんね。あーあ、なさけないニャ~」
と返事をするのだ。
「ニンゲンの言葉がしゃべれるようになった長生きの猫又さんなんですね」
花の季節は過ぎすっかり葉っぱになったさくらの樹を背に、手すりに腰かけて水を飲みながら休憩しつつねこに話しかけた。これは妖怪のたぐいだろう。
「いんニャ。インターネットでねこのような言葉を使っていたらいつのまにか九尾の猫になってしまったのニャが、もとは人間なのニャよ」
「九尾のキツネではなく九尾の猫……エラリィ・クイーンですか」
「アガサ・クリスティよりエラリィ・クイーンが好きだったニャンね」
「もしあなたがアガサ・クリスティのほうが好きだったら……」
「渋谷じゃなくて上野公園のハトの群れの中にいたかもしれないにゃんね!」
おたがいにニャハハハ!と笑った。
「この坂は特にきついにゃんよ。恵比寿のほうに行くならいったん降りて、もう一本南の道を行ったほうがすこしはましにゃんね」
「ありがとうございます」
ぼくは礼をいって、坂を下りることにした。
「おまえのいのちを十本目の尾にすることができなかったのは残念にゃんね」
えっ? ぼくがふりかえると、そこにはもう九尾の猫の姿はなかった。