海を見に行こうとひとりで歩いていたら、通りすがりのおばあさんに
「旅の人かい。今日は大潮の日だよ。あそこに見える島に歩いて行ける日はそうそうない。あさりもはまぐりも取り放題だろうねえ」
と言われた。会話はできず、ぼくが何か返事をしようかと言葉を選んでるうちにどこかへ去っていってしまった。
ぼくは料理をしないので(そもそも旅先だ)、あさりやはまぐりをとってもどうしようもないのだが、久しぶりに童心にかえって潮干狩りをするのもいいなと思った。
さっそく島が良く見えるところまで近づいてみると、なるほど歩いて行けそうである。何の道具も持っていないけどそれほど取れるのだったらいくつかは掘り出せるのではないだろうか。
島に行く途中で少し大きな二枚貝の片割れをみつけて拾った。これで砂を掘るのは楽しそうだ。
島はごつごつした大きな岩で、たくさん空いた穴には海水がたまっているので普段は海に沈んでいることがよくわかる。ぼくはしゃがんで岩の根元の砂浜に適当に穴を掘ってみる。じわっと海水がしみだしてきて、くぼみに水たまりを作った。
子どものころ以来だ。久しぶりに砂を掘っている。掻き出しても掻き出しても水がジワッとたまり、洗われ磨かれた砂粒が輝いていて、ぼくははまぐりのことを忘れて「深く掘る」遊びに夢中になった。
そうしているうちに何かに行き当たり、ぼくははまぐりのことを思い出してそっと砂をはらいのけた。あった! ……大きな二枚貝をほりだして両手で抱えるようにして持ち上げた。
すると周りの砂がぽこぽこと穴をあけて、そこから中ぐらいのはまぐりや小さなはまぐりたちがたくさん飛び出てきた。「ああ、とうとう捕まってしまった」「姫を捕まえる存在が現れた」
ぼくはびっくりして、はまぐりたちを踏まないように足をどかした。「なんだ、なんだ?」
「わたしたちははまぐりです。中でも一番大きな貝は”姫”と呼ばれて、特別な存在なのです。姫を掘り出したものは姫より強いので、姫と結婚していただきます」
「ぼくが? ちょっとまってくださいよ……」
姫……ってこのはまぐりでしょ、結婚?貝と?
「一番強いものと結婚するのです。前の姫と結婚したのはネズミでした。太陽よりもずっと強かったので、この世界で一番強い存在でした」
「ぼくは結婚するつもりはないので……申し訳ないですけど。そうだ、またネズミと結婚してはいかがですか、ネズミが強いとわかっているのであれば」
「ネズミは強いですが、この姫より強いかどうかはわかりませんからね。いまあなたは姫を掘り出したので、強いですよね」
「そもそもぼくははまぐりでもないので、結婚はできないでしょう?」
「いいえ、あなたをはまぐりにするのは簡単なことです。わたしたちだって、姫だってはまぐりになったのだから……」
困っちゃったな。
ぼくはとっさに、手に持った貝の殻を指した。
「では、この貝殻が一番つよいのではないですか。ぼくはこれがなければ姫を掘り当てることはできなかった。弱いんですよ」
するとはまぐりたちは納得したように貝をパクパクさせた。
「そうだ、その貝殻が強い」
「そちらを婿にしよう」
「じゃあ、ぼくは帰りますねー」
貝殻を姫の隣へ置いて、ぼくは岸の方へ引き返した。潮はすこし満ちてきていて、来た時より海面から露出している砂浜は減っているように見えた。
振り返ると先ほどの貝殻を置いた場所にはいつのまにか大きなはまぐりがいて、並んだふたつの貝はこちらに向かってもの言いたげにパクパクと貝殻をうごかしていた……