その日は良い天気でちょうど良い気温だったので、ぼくは珍しく乗り物を使わないで自分の足で歩いていた。
こういう日は手ぶらにかぎる。
そう言いながら、結局大きなリュックにいつもの荷物を入れて歩いているのだけど。
基本的に体力のないぼくはやっぱりすぐに疲れてしまって、お堀のそばのベンチに腰掛けて少し休憩をした。リュックをおろすのは面倒で、背負ったまま、上着のポケットに手を突っ込んで空を見上げた。都会の空は狭いみたいなことを言うけれど、高層建築の間にも十分きれいな空と白い雲を楽しむことができるから、ぼくは空を見上げるのも好きだ。
ぼーっとするのも楽しいな。しばし、デバイスへの接続も忘れてビルの隙間の幾何学的な空を見上げていたけれど、そろそろ移動しようとベンチから立ち上がった。
「おいてけ」
「ハイ?」
「おいてけ」
やっぱりどこかから声がする。ここにはいまぼくしかいないから、ぼくに言っているのだろう。声の主の姿は見えない。
「ぜんぶ、おいてけ。背負ってるやつぜんぶ」
「ぼくのこのリュックの中身をですか? それはこまるなあ。必要なものしかはいっていないし」
「とにかく、おいてけー」
「ここは『おいてけ堀』ですか?」
あんまり「おいてけ、おいてけ」と繰り返すので面白くなってしまって、ぼくがぽそっとつぶやくと、お堀の水の中から水草まみれのいきものが姿をみせた。
「おいてけ堀をしっているのか」
「あ、やっぱりおいてけ堀なんですか? 昔話には聞いていたけど、実際に来たのははじめてだなー」
「おいてけ堀をしってるやつが来たのは久しぶりだ。おまえ、何処から来た。答えないな。まあいいや。ここのものではなさそうだな。なのにおいてけ堀をしっているのか、うれしいなあ。あ、そうだこれもってけ。いいからいいから。遠慮するなよ、もっていけよ」
なにか硬くて白い丸いものを押し付けられて、ぼくは「いや、いらないですよ、荷物が増えちゃうし。旅の途中なんですよ。そもそもなんですかコレは」といったん断ったが「わたしのじいさんのものだから遠慮はいらないよ。荷物もそんなにあるんだからこれぐらい増えてもいいだろう。もってけもってけ。なにか代わりに置いていってもいいぞ……」というので結局受け取ってしまった。
お堀のいきものと別れて、ぼくは再び歩き始めた。どこかでお茶でも飲みたいな。それにしてもこの白いものはなんだろう……薄くて、少しへこんでいて、丸くて……
「ああ、これは」
河童の皿によく似ていると思った。