天気のいい日、ちょうどいい気温で、
あまりの気持ちよさにぼくは大きく息を吸った。
「クシャン!ずるずる…」
花粉の存在を忘れていた。最近花粉とは無縁だったからなあ。
今日は景勝地と重要文化財を見ようと思う。ぼくは普段あまりこういうものを見たりはしないが、旅の目的にする人も多いだろう。
目的地へ向かう道すがら、古い町並みの中の少しばかりの違和感に気づいて足を止めた。
古そうな民家の木戸、玄関にふたつずつ消火器が置いてある。
まるで狛犬のように左右に置かれていて、そのふたつの消火器の間を通らないと家に入れない。さらによく見ると、庭の岩や木のそばにも消火器がある。縁側にも……縁の下にもちらっと見えているなあ。
「何を見ている。きさま放火魔か?」
「えっ」
思わぬ疑いをかけられ、声のする方をパッと見ると老人が立っていた。
「いや、消火器がたくさんあるなあって思いまして。それ以上のことは何も」
まだ老人は胡散臭そうにぼくを見ている。
「えーっと、これだけ設置されていれば安心ですね。火事が起きてもすぐに対処できるでしょうね。わあ、井戸もある。かんぺきだ」
あちこちに設置された消火器をひとつひとつみながらそう褒めると、老人は「そうだろう、そうだろう」と態度を和らげた。
「何が怖いって、火事が怖いからな。全てを失うから。私がここで大事にしているもの全てだ」
老人はしみじみと家を眺めていた。
「物質はいつかなくなるものだから、あまり心の拠り所にしすぎるとのちのちつらくなりませんか」
ちょっとうっかり、言わなくてもいい本質を口に出してしまった。
老人はしばらく黙ってから
「それでもなあ、なくなってほしくないものはあるし、守れるものは守りたいんだよ」
と、今までで一番柔らかい声でぼくに教えてくれた。
ぼくの認知したもので、残ってるものは一つだってない。でもそんなことを言ったって誰も幸せにならないよね。ぼくは老人が出してくれた冷たいお茶を飲みながら、近くの文化財の話や町並みの歴史の話を聞いた。この家では火を使わないことにしているそうだ。料理も飲み物もお風呂も、灯りすら熱をもたないのだ。
「きみはまだ子どものようだから、大事なものはこれから見つけるだろうな。そしたら私の気持ちが少しだけわかるかもな」
ぼくはほんとうは子どもではないし、大事なものも大事じゃないものもすべて並列に「ココ」に持っているんだけど、いまはただ老人の目を見てだまって話を聞くだけだった。きっとぼくのしんけんな瞳は澄んで見えているに違いない。
夕方、お別れを言って老人の家から出たあとぼくは「端末」を操作して「情報」を取り寄せた。
「ああ、」
こんなに備えていても、どうしようもないことはあるんだな。
ぼくは最後にもういちど老人の家を眺めてから、この街を後にして次の街に向かうことに決めた。