新宿は自分の街ではないと思っているので、いつも旅気分になれる。
実際に新宿は人気の観光地だから行くたびにたくさんの観光客と出会える。
ぼくは歌舞伎町のネオン街のそばを通った。古い友人とここを通り抜けた先の店へ、異国の料理を食べに行く約束をしているからだ。ネオン街は相変わらず観光客でごった返していて、彼らは引きずるほどの大きな荷物を持ったままその場所で記念撮影をしている。
記念撮影、そうか、まだみんなカメラを持っているんだな。そして最後のネオンの記録をアーカイブしているんだ。もうネオンでしかないのに。
いつからか新宿は空っぽになって、人気のネオン街テーマパークとしてその姿を残すのみになっている。もうあの窓も灯りをともしているだけで中では何も営まれていないのだ。
「客引きは禁止されています。ついていくとぼったくられます」
街灯の上からそんなアナウンスがBGMのように流れた。
「あの頃」もこんな内容だったかな? 少し違和感があるが、客引きだのぼったくりだのという概念が無くなってからすでにだいぶ長い時間がたっているのでしょうがない。
それでも夜の新宿が懐かしくて、ぼくは歩く速度を少し落として散歩することにした。
「おにいさん、ホラッスルのひと?」
ドキッとして声のする方を見ると、ここに放たれているネズミのロボットキャストがぼくをみて「ニヒ!」と笑った。
「えーっと、きみは?」
「アタシはむかし新宿にたくさんいたネズミさ。いまはフロア下のシステムメンテをやっているよ。縁の下にはネズミがいるもんさ」
ぼくは考え事をするときの癖で長く、深く息を吸ってはいた。
「ああ、すみませんね。おにいさんが何者か、答えなくてもいいよ。あんまり追及するとアタシが危ない」
「そうしてもらえるとありがたいのですが―」
立ち止まってしまったので沈黙に耐えられない。
「あのー、この辺でおいしいレストラン知ってます?」
「アタシはネズミだから!知らないよ!」ネズミはニヒッニヒッと笑った。
「新宿に住んで長いから昔はよく知っていたけどね。いまはどの店が残っているか、把握できていないよ」
「でもね、この街を抜けて少し行ったところに……まだ”プロフ”を覚えている店があったはずだよ。あそこのプロフは絶品だったから、おにいさんもたべれたらいいよね」
「今から友人とそこへ行くつもりなんですよ。彼はそろそろ店についているかもしれないね」
「それはそれは、早く行って御上げなさい。アタシはまた仕事に戻るから」
ネズミさんにもプロフを持ってきてあげようか。ぼくは念のため聞いてみたけど、やっぱり「ネズミになってからは食べられないからもうあきらめたよ」と、「ニヒ!」と笑い、街路樹の根元に空いた穴から地下へ潜っていったのだ。